大げさなタイトルですが、Eat Naturalの名前だけ!!記載していただきました(笑)
2019年8月15日号「鶏鳴新聞」
「第4回国際シンポジウムAWFC Japan- AWの認証制度やベンチマーキングなど学ぶ」
AWFCJのイベントを記事にしていただきありがとうございます!!


大げさなタイトルですが、Eat Naturalの名前だけ!!記載していただきました(笑)
2019年8月15日号「鶏鳴新聞」
「第4回国際シンポジウムAWFC Japan- AWの認証制度やベンチマーキングなど学ぶ」
AWFCJのイベントを記事にしていただきありがとうございます!!
2018年7月5日(木)八芳園さんの運営するAnnivesary Gardenさんで、生産者とどろぶたを食べる会を企画させていただきました。
「八芳園の大人の食育セミナー 食べて学べる vol.21
風土がFOOD を造るマスター平林英明の想いとこだわり」
北海道十勝で走り回り文字通り泥んこまみれで育つどろぶたを、白金台プラチナ通りという自分では滅多に来たこともない!!素敵な場所で食し、イベント開催できることに感無量でした。
お世話になったエルパソ牧場の平林英明さん、松葉孝浩さん、Anniversary Garden柿迫太陽シェフ、八芳園の皆々様ありがとうございます。
当日の様子は日経新聞さんに取材・掲載していただきました。
Anniversary Gardenさんでは、通常メニューでもどろぶたをお召し上がりいただけますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2018年8月28日
八芳園 ビジネスイベントショーケース『SDGs Business Events Beyond 2020 Showcase』
ハラルやビーガンなど多様や食への対応について、アニマルウェルフェア畜産品のコーナーに関わらせていただきました。
当日会場には、仕事のつもりだったのでネクタイをして伺いました。けれども、縁日や飲食やステージ観覧や八芳園見学などお楽しみたっぷり。日頃お世話になっているアニマルウェルフェア仲間たちと丸一日すっかり遊ばさせていただきました。
2019年7月6日(土)日本獣医生命科学大学で開催されたAWFCJ(アニマルウェルフェアフードコミュニティージャパン)第4回国際シンポジュームにて、AWFCJビジネス会員として自己紹介する機会をいただきました。
他に流通会員として自己紹介したパルシステムさん、東都生協さん、オイシックス・ラ・大地(オイラ大地)さんとは事業規模が異なりすぎます。大した話はできませんので、個人事業の自己紹介と割り切って日頃考えていることを5分で話してみました。
Eat Naturalは「毎日の食から『美味しい革命』を!!」ということを目標にしています。「美味しい革命」って素晴らしい言葉だと思いませんか?食を変えることで、人も変われる。社会も変われる。家畜にも優しくなれるし、地球や環境にも優しくなれる。たった一つの言葉で色んなことを表しています。
「美味しい革命」は、シェ・パニーズのオーナーであり、スローフード協会の副代表でもあるアリス・ウォータース(Alice Waters)さんの言葉です。
昨年、アリス・ウォータースさんが来日し、スローフード日本のイベントに参加されました。その際、講演の後に一人の母親の質問に答えて、下記のようなことを話されました。
簡単にも聞こえるけれど、日常の生活を振り返ると実現しようと思ったら結構難しくはないでしょうか。身近に手軽に手に入るものは「誰がどこでどのように作ったのか」見えない食で満ちあふれています。けれど、それを考えることが一消費者としてアニマルウェルフェアを考えるスタート地点だと思います。
日本では、欧米各国に比べてアニマルウェルフェアへの取り組みは大変遅れていると言われています。けれども、少ないながら日本にも地道にアニマルウェルフェアに通じる取り組みをしている生産者がいます。
Eat Naturalでは、全国各地に点在する生産者と首都圏を中心とした消費者を結べるように努めています。自然食材を好むシェフを中心に、アニマルウェルフェアに配慮した畜産品は高い関心を引いています。
Slow Food銀座などとも連携しながら、生産者と共にアニマルウェルフェア畜産品を食べるイベントなども開催しています。
SDGsに力を入れる白金台の結婚式場 八芳園さんは、アニマルウェルフェアにも取り組んで頂いています。2018年7月にオーガニックライフスタイルレストランAnniversary Gardenで、北海道十勝の放牧豚「どろぶた」の生産者 平林英明さんを呼んでお話聞きながら、柿迫太陽シェフによる自然栽培のお野菜とどろぶたの美しいメニューを楽しみました。
またAWFCJには事務局として運営協力しながら、生産者や研究者などから最新の情報の取得に努めています。
ヨーロッパでは、EUの主導で従来型のバタリーケージが廃止されました。日本では、国の主導でアニマルウェルフェアが前進する兆しは見えません。業界からも動きにくいでしょう。であれば、消費者が毎日の食選びを通じて未来の日本の食に投票する。グラスルーツに日本の食の未来を築いていく。それは誰にも止めることはできないでしょう。
ということで5分間お話させていだたきました。
2019年3月4日 「放牧酪農シンポジウム」(日本草地畜産種子協会 主催)に参加しました。
ありがとう牧場 吉川友二さんが
「人の食べられない草を、人間の食べられる乳や肉にかえてくれるのが牛の一番の価値」
消費者が「「放牧の牛乳が飲みたい」とあちこちで発言してください。」
と公演で語られていたのが印象的でした。
シンポジウムの後には、北海道ありがとう牧場の吉川さんはじめ、岩手県の山地酪農なかほら牧場の方々や、高知県の山地酪農南国斉藤牧場の方などと懇親会でお話できて貴重な機会となりました。
2019年3月25日「放牧・酪農による中山間地活性化の可能性を探る」@広島大学に参加させていただきました。
「人が利用できない草資源を食料に変える」
草食動物を家畜として利用する本来的な意義を再確認させて頂きました。
シンポジウム後の懇親会は、研究者の方々やなかほらファミリーの皆さまと、草ウシの魅力を共有する熱い時間となりました!
貴重な機会をありがとうございます!
岩手県田野畑村で山地酪農を営む吉塚牧場の家族を24年間にわたって取材した「山懐に抱かれて」。
ポレポレ東中野でのオープニングを2019年4月28日(日)、29日(月)と続けてみてきました。
<酪農>や<食のルーツ>、<家族>、<生き方>など考えさせられる感銘深い映画でした。
吉塚公雄さんが「日本の畜産の将来を救うには山地酪農しかないと思っているんだ」と涙ながらに語るシーンが忘れられません。大変なご苦労のもとに、山の中の桃源郷のように美しい牧場を築かれた歴史を胸に刻む思いで観ました。
4月29日の上映後のトークイベントでは、室井滋さんは20年も吉塚さんの山地酪農牛乳を飲み続けているそうで、「ナレーションはもっとクールにした方がよかったかもしれないが、つい思い入れが入ってしまう自分がいた。」と話していたのが心にとまりました。
2017年11月5日、家族で吉塚牧場を訪問させて頂いた時の写真も添付します。
映画公式サイト「山懐に抱かれて」
20年以上牛乳を飲み続けている室井滋さんが吉塚牧場を訪問する様子と、映画「山懐に抱かれて」の一部が紹介されてます。
動画リンク
2019.3.30 に日本産肉研究会「シェフとバイヤーに聞く!赤身牛肉の最前線」に参加させていただきました。
アペロさん素敵!https://apero.co.jp/
コープデリさん、ビオセボンさん、さすが!
赤身肉の評価方法として、脂肪交雑基準BMSを逆転し、草を食べて赤身で黄色い脂を最上とする“Grass-BMS”が研究者から提案されるなど、熱い議論が交わされていました。
図々しく3次回🍻まで混ぜて頂き💦北里大学八雲牧場の小笠原先生をはじめ、研究者の方々から牛について学びを得る貴重な機会となりました🐂✨
「人が利用できない草資源を食料にかえる」牛🐂の本来的な意義をここでも再確認し、持続可能な牛の利用についての議論が活発になっていることを感じました。
青年海外協力隊でタンザニアで数学を教えている友人から、Facebookで思いがけず現地での家畜との暮らしを聞くことができた。
友人が教鞭をとる映画の一場面のような教室
人々の日常の暮らしの中に家畜がいるという畜産の原風景のような状況を、現在も目の当たりに生活しているのがとても貴重に思えた。
Slow Meat ではプロが農場で家畜を飼育することが話の中心になるから、Slow Meat以上にSlowだ。
海辺の子供は、ウツボのような魚も自分で捕まえて食べるのだとか。やっぱり映画の中の一場面みたい。
「動物の肉も工場から出てくるのが日本だもんねぇ。。。こちらも鶏肉はそうだけど。でも他の牛や豚、ヤギはちがうなぁ。お肉屋さんで肉が吊り下げられてて、欲しい量だけ買う。
こちらの工場産鶏肉ですら、日本の鶏肉とは違って美味しい(肉が引き締まってる)よ。地鶏はなおさら。むしろ硬いくらい-w
家の周りは家畜のお散歩コースだからよくヤギやヒツジが通ってる。そういうの見ると、動物頂いてるなぁ、っていつも思うし、残さず食べなきゃって思う。
屠殺することもあるし、鳥も内臓取ってあるのを1羽買って自分で解体するから、鶏ガラも取って、ガラは全部猫に食べてもらって(こっちの猫は骨もたべる-w ちなみに犬も-w)、ゴミが一切でない。生ゴミはヤギやそのへんのニワトリが食べてくれるからそのへんに捨てても問題ない-wなんかサイクルがちゃんとあるから理にかなった環境だよなーっていつも思う。
日本ももっと、家畜や農業が身近に、生活に入り込んだものになると(時間の巻き戻し)少しは変わると思うんだけどなぁ。」
牛による渋滞
◆ 一般の家で屠殺することもあるの?
「一般家庭でも鳥くらいは屠殺しますよ。でもお祝いのときくらいですかね。豪華なおうちはクリスマスにヤギの丸焼きとか。結婚式はヤギの丸焼きが顔つきで出てきます。なんなら口に草を挟まれて出てきます。
私達隊員も、鳥類、ヤギくらいなら自分たちで屠殺できます。1人でやれと言われると、鳥くらいなら多分できると思います。内臓取り出すのがちょっと失敗したらどうしようって不安ですね。。でも手順はもうわかるので多分できます。
流石に豚や牛レベルの大きなものはやったことありません。豚はやってみたいなぁ、と思いつつ、例え子豚でも1頭屠殺してしまうと大量の肉が出てくるので消費できなそうで実施できてません。お隣の国の隊員は飼ってた豚を帰国前に屠殺した時、30人くらい集まって食べて、それでもまだ余ったと聞きました。でも屠殺仕立てのお肉はすごくジューシーで美味しいです。
こちらの人達は動物は人のために死ぬものだと捉えていて、動物に対してカワイイ、というペットへの感情はありません。おいしくなるように、毎日草を食べさせるツアーに出かけたり、水を与えたりします。全ては自分たちの食事のため。
日本はなんでしょうね。食べるくせになんで可哀想とか偽善ぶるんだろう。可哀想なら食べなきゃいい。屠殺できないなら食べなきゃいいのに。そう思います。」
写真はFacebookの投稿からお借りしました。
文責の一切は池嶋にあります。
“Old MacDonald had a farm, E-I-E-I-O!!”
マクドナルド爺さんの畑には、鶏やアヒルや牛や七面鳥などいろんな家畜がいしまたとさ。
鶏はチックチック、アヒルはクァッククァック、牛はムームー、七面鳥はガブルガブルとあっちでもこっちでも鳴いて、まぁ騒がしい。
♪イーアィ、イーアィ、オー♪というリズムが楽しくて、子供も大好きな童謡だ。昔の欧米の人たちには、ありふれた農村風景だったのだろう。
Slow FoodがSlow Meatとして推奨するアニマルウェルフェアに配慮した小規模生産の畜産とは、こんな農場を原風景にしているのではないだろうか。
霊長類学者のジェーン・グドールさんも、幼少期にマクドナルド爺さんの畑のような光景に接して育った一人だ。「ジェーン・グドールの健やかな食卓」に記している。
「子供のころケント州の祖母の農場に泊まりに行くとき、私はいつも心が躍った。とてもたくさんの種類の動物が農場や庭にいたからだ。草を食んでいる牛や、横になっている牛、それに反芻している牛。二〜三頭の馬車馬が木陰に立っていた。馬たちの大部分の仕事が後にトラクターに取って代わられたれども、その当時はまだ馬車が農場のまわりで使われていた。広々とした豚小屋には子豚が何匹もいたし、野原を歩き回っている豚もいた。雌鶏と雄鶏は地面を引っ掻き、コッコッと鳴いて、農家の庭でぶつぶつ言っている。黄色いふわふわしたひよこはせわしなく地面をつつき、そばで母鳥が鳴いている。カモ池にはカモがいた。私にはちょっと怖かったけれども、ガチョウの小さな群れもいた。」
こんな時代には、アニマル・ウェルフェア (家畜福祉/Farm Animal Welfare) という言葉は必要なかった。それがいつから言われるようになったのだろう。アニマル・ウェルフェアやSlow Meatを考えるにあたって、ジェーン・グドールさんの著作は僕にとってはバイブル。どこを引用しようかと悩んだけれど、結局どこも省略できずに「第5章 動物工場ーみじめな農場」をほぼ全て引用して紹介したい。
「農家はいろいろな種類の動物を飼っていた。その理由のひとつは、牛や豚や鶏など、いろいろな動物を飼育することが農場の繁栄に役立つすぐれた仕組みであることを知っていたからだ。牛の小さな群れはハーブや、クローバーや、ベータカロテンや、そのほかの栄養でいっぱいの牧草地で放牧された。
数ヶ月たつと、牛は別の牧草地に移されて、今度は豚をそこに連れてきた。豚は雑食性だ。豚は強力な鼻で、(鼻輪がつけられていない限り)土を掘り返すことができ、ありとあらゆる栄養価の高い根や昆虫をみつけることができる。豚の消化器官は強い酸性に保たれていて、「行き止まり宿主」として知られるとおり、食べ物に寄生虫やバクテリアがいてもすべてやっつけてしまう。このため豚は牛糞からさえも栄養価を吸収するのだ。さらに豚は土を食べて、さまざまな免疫を活性化させるミネラル類を取り込む。
豚が放牧されていた野原は、家禽類にとってうってつけの狩場になる。鳥たちは豚がかき混ぜた土地でいろいろな昆虫をついばみ、それと同時に鳥たちの糞は高硝酸塩の肥料となる。このようにして次に牛を放牧するときには、その野原は青々とした健康な芝で覆われている。かつての農業のシステムは実際、かなり自然のまねをしていた。
…自然の生態系はすべてどんな農園よりも豊かで多様なのだ。ひとつには農場では、本来肉食動物に捕食されることによって個体数が抑制される動物が増えすぎる傾向があるので、何らかの手を打つことがある。ほとんどの農家は、オオカミやコヨーテやキツネや猛禽類などの肉食動物と絶えず戦っている。このため肉食動物の獲物となる動物が劇的に増加してしまう。ウサギや、シカや、齧歯類や、鳥類は大喜びで農産物を食べてしまうので、農家はそれらの数を低く抑えなければならない。こうして捕獲される動物の多くは、ウサギのパイやシカ肉を好む地元の人たちによって消費された。
しかし一九七〇年代、私は農業の世界のすべてが変わったことを思いがけず発見した。だれかがオーストラリアの哲学者ピーター・シンガーの本を私にくれた。「動物の解放」を読んで、「工場方式の飼育施設」の恐ろしさを初めて思い知ったのだった。それは食肉をますます安く大量に生産するための施設だった。
それ以来、私は世界中のたくさんの家畜の苦しみについてさらに学んだ。このような苦痛の根源は明らかに、家畜たちは痛みや恐れで苦しむ能力がある生き物なのに、ものとして扱われていることにある。家畜たちは満足することも、喜ぶことも、絶望することも知っている。
家畜たちは確かに、本来の習性を可能な限りのびのびと発揮できる環境で生きる権利をも持つに値する生き物なのだ。豚は地面を掘り、子豚はお互いを追いかけ、興奮してキーキー鳴いて遊ぶべきだ。牛は子牛が朝日の中で飛び跳ねている間、緑の草を食べなければならない。あらゆる種類の家禽は地面を引っ掻き、つつき、羽を広げることができるべきだ。そしてすべての家畜はわらの寝床で休むのが当然なのだ。
工場型の生産方式の事業モデルでは、動物を感覚のある生き物として扱うことが効率的であるとか、利益をもたらすとは考えられていない。そうではなく、動物たちは飼料を肉やミルクや卵に変換する機械だとみなされている。家畜はまるで自動販売機と同じように感情も権利もないとみなされているのだ。」